フランス語の歴史|イタリア語、スペイン語とは親戚の関係!?そのルーツを解明

言語の歴史を知ることによってその言語のルーツを知ることそのルーツを知ることによって他の国との様々な繋がりをみることができます。

この記事でわかること
  • フランス語の歴史
  • 発展の仕方
  • 他の言語との関わり

フランス語の歴史

本記事ではフランス語がどのような発展をして現代のフランス語になったのかを見ていきます。

ガリア語 2世紀ごろ

紀元前7世紀から2世紀ごろまで現在のフランスの地域はガリア人と呼ばれるケルト人が住んでいました。そこではローマ帝国が築れる前から、ガリア語という言語を話していました。ガリア語はケルト語系の言語でした。現在のアイルランド語やウェールズ語、ブルトン語もケルト系の言語となります。

ガリア語の文法は?
ガリア語については、文献の少なさからどのような文法体系なのかが正確にはわかっていませんが、格が7つ、時制は現在、過去、未来、現在完了、半過去があったとされています。

その後ローマ帝国カエサルによるガリアの征服があり、ローマ帝国の支配下に入ったことで、ガリア語からラテン語を使用することへの強制があり、
徐々に話される言語がラテン語に変わっていきます。その結果、ガリア語は7世紀には消失したといわれています。

カエサルのガリアへの出兵は有名な『ガリア戦記』です。

俗ラテン語として広まる

ラテン語は民衆の間では俗ラテン語として広まっていきました。俗ラテン語というのは口語として使われていたといういう意味です。聖職者、王族が使うラテン語とは区別ができてしまっていました。

ラテン語の文法は?
ラテン語には先ほどでてきた格があり、私を意味する1人称にもegō, ego(主格),meī(属格),mihi(与格),mē(対格,奪格)と複雑な変化をしていきます。このような格は現在のフランス語においても全てではないですが存在していますね。
『私』を文章内で置く位置に応じて、Je,mon,mienという形で変化していきますね。

ローマ帝国はとても広いです。ラテン語で統一をしたといっても地域での差、すなわち方言がでてきてしまいます。今の日本で言うならば、大阪、東京、東北、沖縄で全然違いますよね!それと同じ感覚です。
そして、この地方間の差が現在のポルトガル語、イタリア語、スペイン語などとなっています。少し勉強をしてみるとわかりますが、これらの言語は非常によく似ています。

ロマンス諸語
すべてラテン語から派生した言語
  • 西ロマンス語(フランス語、スペイン語、ポルトガル語)
  • 南ロマンス語(イタリア語)
  • 東ロマンス語(ルーマニア語)
俗ラテン語とラテン語の違い
発音が母音、子音の消失があったり、格の消失がありました。確かに何も教育を受けてないのにいきなりあんな難しい格を色々使うのは難しいですね。。

5世紀には、現代のフランスを含む西ローマ帝国はゲルマン人の征服に遭い、今度はフランク王国を成立させます。

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北と南での分裂と古フランス語

フランク王国もこれまた広大な王国となっていきましたので、北と南で支配者の違いにより、言語への影響がでてきました。北の地域では、支配していたフランク人(フランク語)の影響が強く、民衆の話すラテン語に影響を与えました。

フランク人は、すでにラテン文化を営んでいたガリア人に対してフランク語を求めることができませんでしたが、影響は強く与えたとされています。
この北部のフランス語がオイル語と呼ばれるようになりました。

北部にはパリがあり、メロヴィング朝にて首都となったこともあり経済的には何分よりも優位的でした。この地域で使われていたオイル語が現代フランス語の元となった言語であり、『古フランス語』と呼ばれています。

フランク語とは?
フランク語とは、現代の英語、ドイツ語などと同じ言葉のグループとされており、それまでの民主がはなしていたラテン語とは別の形態の言語でした。

ルイ9世のもと、古フランス語は権威を得はじめ、上流階級の人々も話すようになってきました。ラテン語は公式書類では依然として使われていました。

一方で南地域では、フランク人の支配が弱くオック語という別の言語へと昇華していきました。南部では早くからローマやギリシャの文化を取り入れていた独自の文化が根付いていました。そのため、そうした文化の影響が強く残り、ゲルマン民族の影響を受けずにラテン語の特徴を残すこととなりました。
南仏地域では現代でも使われており、プロヴァンス語とも呼ばれています。
文法体系としては、フランス語よりもカタルーニャ語と近くなっているようです。*youtubeで現代のオック語を話す人を発見したので貼り付けておきます。

現代にてオック語を話す人々

フランス語がある程度できる人は語学教材として有名なassimilでオック語がありますので、興味のある人はぜひ笑

絶対王政化ではオイル語を公用語化して、オック語を締め出す動きが始まりました。オイル語はその結果、現代では『中期フランス語』として分別されて、理解されています。
このオイル語の特徴は複雑な格変化はなくなり、現代のフランス語とかなり近くなっています。

17世紀ごろのフランス語は古典として読むことは可能だとされています。こうしてオイル語は現代フランス語の祖語としての地位をしめることとなったのでした。

中期フランス語の公用語化

パリに王様の領地があったことから、絶対的な経済優位性を保っていました。
フランソワ王は『ヴィレル・コトレの王令』を発して、公的な文書についてもラテン語ではなく、フランス語で書くようになりました。

また、当時は印刷技術も発展していたためフランス語でどんどん印刷されたことに公用語としての地位は築かれていきました。

国際語としてのフランス語

1880年に公的な義務教育が始まりました。そのため、地域差のあったフランス語は徐々にその差をなくしていき、現代に近い形で広まっていくこととなります。

第一世界大戦まではフランスは国際的な外交の場で使われていた言語であったが、アメリカやイギリス、ドイツといった国々と比べて、国力の勢いがなくなっていき、その地位は英語に置き換わってしまった。

現在でも、英語に次ぐ強大な力を有している

話者数は2億9000万人程度。単純な話者数で比べると中国
29カ国で公用語として使われている。公用語ではなく単に話されているという意味で考えると50カ国以上で話されています。それは、大航海時代以降にアフリカをはじめとして、多くの国を植民地とした影響が大きくなっています。

また、アメリカ大陸においてもフランス語の影響を見ることができます。カナダではフランス語を公用語としています。*ケベック州は、独立心が強くフランス語のみが公用語となっています。
さらに、英語しか話していないと思っている方も多いであろうアメリカ合衆国のルイジアナ州では今でもフランス語を話している人が多いです。

国際連合や国際オリンピックなどの世界的なイベントや団体においても、公用語として採用されており、英語に次ぐリンガフランカとしての地位を築いていえるといえるでしょう。

イギリスの国章には、依然としてフランス語の記載が・・・

イギリスの国章

DIEU ET MON DROIT(英: God and my right、神と我が権利)
HONI SOIT QUI MAL Y PENSE”(英: “Evil to him who evil thinks”, “Spurned be the one who evil thinks”, or “Shame upon him who thinks evil upon it”、思い邪なる者災いあれ)

単なる言語の話者数では中国、英語が上になるが、様々な国で依然として公用語で話されていることなどを踏まえるとその有用性は計り知れません。